先日ふと、昔みていたドラマのことを思い出した。それは訳ありイケメン御曹司と冴えない一般女性が恋に落ちるというラブコメものだった。

基本的なストーリー展開はお決まりで、ちょっとした波乱と困難を経て、最後に2人が恋愛的に結ばれてハッピーエンドという内容で、ストーリー自体に面白味はないけれども、オチを知っているコントを見る時のような安心感と、魅力的な場面演出とに魅せられて、なんだかんだ最後まで見てしまった。

ドラマを眺めている時は空想に耽ることがあって、その時は「自分もイケメン御曹司みたく容姿端麗でお金持ちに生まれていたらどんな人生を送っていただろう」、逆に「冴えないヒロインとして暮らしていたらどうだっただろう」、などと想像を膨らませていた。

正直つまらぬ空想だとは思うが、こうした空想は一方で今ある現実を別の角度から眺めるきっかけにもなって、例えばその時考えたのは次のようなことだった。

どうして自分はイケメン御曹司でもなく冴えないヒロインでもなくて、今ここにいるこの人間に生まれたのだろう。たとえイケメン御曹司や冴えないヒロインに生まれるのでないにしても、今この場所この瞬間のこの人間ではなく、その他の人間として生まれてもよかったのではないか、と。

ドラマを眺めながら持つ感想としては少し斜め上の発想かもしれないが、自分がそれとして生きている人間が他でもない今ここにいるこの人間であることが不思議に思えてならない。

今自分に与えられている現実に恨みつらみはないけれど、あり得たかもしれない様々な世界線を考えると、自分が他でもない「今ここでこの文章を書いているこの人間」に生まれたことが少しだけ不思議に思えた。

このことを少し別の仕方で考えてみるなら。こんな風に考えられるかもしれない。

少しスケールの大きな話にはなるが、宇宙には137億年の歴史があって、地球には46億年の歴史があるのだそうだ。また、人類だけでいえば500万年くらい歴史があるのだそうだが、とりわけ私が生きているのが、この場所この瞬間の今ここなのであって、それがなんとも可笑しく思える。

人類500万年の歴史のうち、今日に至るまでの全人類の累計人口を調べてみると、( 2011年段階の発表資料によれば )その人口は約1080億人と推定されているそうだ。また、そこから10年ちょっとが過ぎているため、その間の人口増加分を単純計算すると、約1095億人ほどがこの世に存在したことになるらしい。

2024年の地球の総人口が約80億人と言われているので、累計人口の約7.5%が今なおこの世界で生きていることになる。それだけ多くの人々が生死を繰り返してきたのであれば、なぜ私はよりにもよって今この場所この瞬間に生きるこの人間に生まれたのだろうか。

1000年前もしくは1000年後に生まれるのでないにしても、今なお生きる80億人の別の誰かでもよかったであろうし、そもそも生まれてこないことだってあり得たかもしれない。同じ親を持つ兄弟姉妹の間でさえ私は私の側に生まれたのだから、そのことが不思議に思える。

いつどこの誰に生まれるのかを私は選ぶことができない。そして、私は与えられた人間として生きている。正直、考えたところで仕方のないことではあるけれど、この不思議さというのがあり続けているように思う。