恋人とは恋人のまま

最近とある映画を見た。その映画はヒロインの女性が交通事故をきっかけに記憶障害を抱え、夜寝てしまうと事故当日の朝に記憶がリセットされてしまうという設定で、彼女と彼女を取り巻く人々がその中でも幸せを模索するという内容だった。

彼女の記憶は毎日リセットされてしまう一方、周りや社会の時間は流れていく。そのギャップの中で、ヒロインとその家族、友人、恋人たちがそれとどのように向き合っていくのか、そんな試行錯誤が描かれていた。

そんな姿を眺めていると、次のようなことを考えた。

たとえば、もし私もしくは身近な人の一方が、互いに関する記憶だけを失ったとして、その人と恋人なら恋人のまま、友人なら友人のままでいられるだろうか。何らかの仕方で彼らとまた1から出合い直すことになったとして、彼らと今ある関係性を紡ぎ続けられるだろうかと。

というのも、今ある関係性というのは案外脆いもので、互いに寄り合い紡ぎ合っているというよりも、環境や場所、そこに居合わせた偶然的一致によって支えられていることが少なくない。だから、場所が変わり時間が遷移すれば、自然と消えていく関係性というのも案外多いものだ。

たとえ関係性が長く続くような場合であっても、最初に出会った時の興奮や同じものを共有している喜びは年々薄れていくもので、関係性への配慮や敬意も色褪せていく。

だから、もし今ある関わりにおいて一からやり直さなければならなくなったとした場合、恋人とは恋人のまま、友人とは友人のままでいられるだろうか、そんなことを考える。

それは、今の私が恋人にとって常に魅力的であり続けているのかということであり、友人たちにとって常に興味を引き、気にかけたいと思ってもらえる存在であるかということでもある。

今ある関係性に執着したいわけではない。どちらかと言えば、関係性は流動的で変化する方が好ましいとも思う。しかし、それでも出会った当時に持ち合わせていたであろう魅力を、また、その時に纏っていたであろう親密さを、姿・形が変われど今なお持ち続けていられば嬉しい。また、それと同時に相手に対する誠実さや敬意も忘れずにいられたらと思う。

たとえ惰性的な関係であったとしても、今ある関係が有機的で人間味を備えたものであれば、きっと出会い直すことになったとしても、その関係は、当然の如く紡ぎ直されるに違いない。

そんな関係を身近な人たちと紡いでいられたら嬉しいし、これからそんな出会いを持てていいけたらと思う。